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2009年9月14日 愛知用水総合管理所長:井爪 宏  
#004 愛知池の誕生物語

愛知池は、愛知用水の主要な施設の一つです。正式名称は、「東郷調整池」と言いますが、地元の方々は親しみを込めて「あいちいけ」と呼んでいます。愛知池の水は、長野県王滝川の牧尾ダムから約120km木曽川を下り、岐阜県八百津町の取水口から愛知用水幹線水路を約50km流れた後、ようやく池に到着します。今月は多くの方々に親しんでいただいている愛知池をご案内します。


東郷調整池(愛知池)
愛知用水構想は、久野庄太郎さんと浜島辰雄さんが作りました。お二人が手弁当で現地を歩き、愛知用水の路線を2万5千分の一の地形図に落とし込んでいったのが「愛知用水概要図」です。時の吉田茂首相の御前で説明した縦4m、横1.5mの大きな図面です。この図面を前に首相が「愛知用水。いいじゃないか」と言ったことから愛知用水事業が始まったのですが、その図面には「愛知池」は入っていません。技術を担当した浜島さんは、当地にある「19mの落差」を発電に利用したいと考えたようですが、当時の愛知用水は農業用水の水路として計画していたことから5月から10月までのかんがい期間だけでは発電所の投資効果が発生しないと判断し、単に「19mの落差」と表現したようです。

では、愛知池はどのようにして誕生したのでしょうか。

愛知用水事業が国の事業として進められるなか、昭和30年に愛知用水事業を実施するために愛知用水公団(水資源機構の前身です)を設立しました。公団技術者が、現地で地質調査をし測量を行い詳細な路線計画図を作る中で、この落差を有効に使うことを考えました。落差をエネルギーとして使うのではなく、水を有効に活用できる施設として「調整池」を造ったらどうかと考えたのです。「長大な水路の途中に調整池を造りムダな水が水路に流れないようにコントロールする」と言う考え方は、現在では当たり前の技術ですが、昭和30年代には画期的なアイデアでした。

現在、愛知池は農業用水、水道用水、工業用水の水源として利用するほか、周回道路は多くの方々に利用されています。発想の転換から生まれた愛知池です。春夏秋冬を問わず「美しい池」周辺の新たな活用方法を生み出していきたいと考えています。
 
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