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2010年7月21日 愛知用水総合管理所長:井爪 宏  
#014 弘法は筆を選ぶ

気象庁は7月17日、東海地方で梅雨明けしたと見られると発表しました。しかし、7月11日から降り始めた降雨は15日には局地的な豪雨となりました。八百津町、可児市、御嵩町、犬山市など愛知用水関係市町でも被害がでるなど地元には深刻な影響が出ています。被災された皆様方には心よりお見舞い申し上げます。

かつて香川県で教えていただいたことを思い出しました。讃岐には満濃池という大きな農業ため池があります。西暦704年に完成した古い池ですが、讃岐の善通寺で誕生された弘法大師と深い縁のあるため池と言うことでも全国的に有名です。このため池は、五千町歩に及ぶ広い水田を潤す大変御利益の大きな池ですが、残念なことに数十年から百年程度に一回破堤する池でもありました。水を取り出す施設(樋)が堤体内部に埋め込まれていましたが、木製(木樋)であったため、その部分が腐ると堤防と木樋の間に隙間ができ水が吹き出して堤防が壊れたと言うことです。西暦820年頃、満濃池はそのようなことが原因で決壊したそうですが、その時、唐で密教を修得した弘法大師が築池別当として派遣されました。弘法大師の力により、二ヶ月余りで池の復旧が完了し朝廷から功績が称えられたと記録にあります。弘法大師は、護摩壇を設け、護摩をたき、働いている人々を安心させたと同時に、土木工学的に安全な構造を採用したとされています。

また、弘法大師は書の大家として名声を高めました。世間では橘逸勢、嵯峨天皇とともに三筆と称せられています。書道において筆は大変重要なもので、毛の素材や長さなど、字体毎に適した筆がありますが、弘法大師はどんな筆を使っても見事な書を書いたことから「弘法筆を選ばず」と言われ「真に上手な人は道具に頼ったりしない」という意味の諺になりました。

しかし、これは真実ではないようです。満濃池の改修においても、書道の件においても弘法大師はきめ細かい検討を行い最適な方法や道具にこだわった方のようです。嵯峨天皇に筆を献上した際には坂名井清川、皇太子には槻本小泉という筆生に狸毛の筆を注文したとされています。品格のある字を書くにはそれに適した筆があると考えたようです。筆の作者へのこだわりは相当強かったと考えられます。

私たちも、適格な筆選びを行った弘法大師の技術力を見習いたいものと思います。
 
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