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2010年2月22日 愛知用水総合管理所 管理課長:田村 俊秋  
#008 歴史・史跡と愛知用水施設巡り

私は歴史がすきで、NHKの大河ドラマを見ています。今は、龍馬伝で坂本龍馬が放映されていますね!

私が仕事をしている独立行政法人水資源機構愛知用水総合管理所(名前が長いですが覚えてください。「愛知用水」と言ったほうがわかりやすいですが!)で管理している牧尾ダムや幹線水路の付近でも歴史に関する話や史跡があります。
下記内容はホームページや文献を参考に記述しています。

牧尾ダムがある王滝村は、古い歴史をもつ御岳信仰や尾張藩の木曽山林支配に関する文化財や歴史資料が多くあります。(御嶽山資料館へ行ってみては)
また、滝越地区は平家の落人伝説があります。三浦姓の人が多いのは三浦氏の末裔と言われています。(三浦氏について調べたら面白いと思います。)

愛知用水幹線水路入鹿水路橋(犬山市)のそばには、入鹿池があります。
入鹿池は、江崎善左衛門らの通称「六人衆」が尾張藩の許可を得て工事に着手。寛永9年(1632年)のことと書かれています。今はワカサギ釣りで有名な場所でもあります。

愛知用水幹線水路本地第2開水路及び色金山トンネル(長久手町)のそばには、色金山があります。天正12年(1584年)の小牧長久手の戦いで、4月8日夜、豊臣秀吉方の三河中入りの別働隊の動きを察知した徳川家康は、小牧山には酒井忠次等を残し自ら長久手に出陣します。4月9日早朝には色金山(長久手町)に着き、家康はここで四方を観察して軍義を開きました。その時に家康が腰掛けたといわれる「床几石」が今も山頂に残されています。現在は公園として整備されています。

愛知用水幹線水路有松開水路(豊明市)のそばには、桶狭間古戦場伝説地があります。永禄3年(1560年)今川義元が約2万5000人の軍勢を率いて京に上るとき、今川本陣が桶狭間の松林に休憩して、昼食をとっていたときに、織田信長軍が本陣めがけて切り込み、今川義元は壮烈な戦士を遂げました。これが有名な桶狭間の戦いであります。

愛知用水は平成23年には通水50周年を迎えますが、愛知用水の周辺にはいろいな歴史や史跡があります。愛知用水施設見学とあわせ、史跡巡りをしたらどうでしょうか。
(※愛知用水の施設見学については⇒こちら)
 
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