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2010年7月30日 副所長 兼 牧尾管理所長:竹越 稔  
#013 ??後白河法皇と王滝村??

雨が降ると牧尾ダムには周辺の山から水が流れこんできます。普段はきれいで穏やかな流れですが、一端大雨が降ると濁流が押し寄せてきます。洪水です。
山に雨が降りますと低い方に水が流れますが、その下流に流れる範囲を流域と言います。
牧尾ダムの流域は304km2あり、中部国際空港(セントレア)の50倍以上の広さです。このほとんどは王滝村です。
そこで、今回は王滝村の由来について紹介します。

王滝村の村誌によれば、昔は「大滝」と書いていたようです。どう呼ばれていたかは判りませんが、大滝が王滝川に由来していることは事実だそうです。
「大滝」から「王滝」に換わったのは、77代後白河天皇が法皇となられてからのこと(鎌倉時代)。
ある年法皇が急病に罹り、病気平癒を祈祷した京都のある行者が夢のお告げにより信州御嶽山神(みたけさんじん)に一心に祈祷した結果、次第に快方に向かい2ヶ月もしないうちにご全快遊ばされた。その翌年行者は法皇の仰せを受けてお礼詣りのため大滝村に来て、お礼詣りの行事を済ませた後、法皇の勅によって後世に残る記念の証(しるし)といって、大滝の大の字に代わる法皇の皇の字の白を取り去って、下の王の字を用いるようにと許され、以来「王滝」と書くようになったといわれています。
江戸初期頃までは「おのたけ」と呼び、中期以後は「おんたけ」、明治7年以後は「おおたき」と呼ぶようになったそうです。 実に由緒ある名前ではありませんか。

ついでに、知多半島からも見える3,067mの霊峰「御嶽山」は、信仰の山でもあり、今では登山、スキー等の観光の山でもありますが、昔は「みたけさん」と呼ばれていました。百日精進をすませた上でなければ登山も叶わず、また開山もされていない時代でした。ですから一般との親しみはなかった時代であります。今の「おんたけさん」と呼ぶようになったのは明治5年以降だそうです。

 
「御嶽山」と「御岳湖」と「王滝村」(左端)

ちなみに、明治7年には隣接する旧三岳村(現在の木曽町)が、黒沢村と三尾村が合併して御嶽山(みたけさん)の麓であるに因んで三尾村の「三」をとって三岳村(みたけむら)と改称した年であります。

なお、三岳村の由来は、諸説あり。「御嶽村(おんたけ)」を選ぼうとしたが、王滝村のことを「おんたけ」と呼び習わされているから紛らわしいとの意見が出て、御嶽の名は避けて三岳(みたけ)とすることになった説。
現在、一般的に云われている説は、本村は御岳、乗鞍、駒ヶ岳の三山を一望に収めうる村であるので三岳村であるというものである。(三岳村誌より)

御嶽山に関わる行事が、いくつかあります。
7月1日は、御嶽山の開山式。いわゆる山開きです。
夏から秋にかけて登山シーズンが始まりました。3,067mの頂上に登ると、富士山を初め乗鞍岳、中央アルプス、南アルプスが一望できます。

7月は御嶽神社の祭礼が木曽町、王滝村で開催されます。
いわゆる御嶽山の神様を迎えて祝うお祭りです。三岳地区が7月18日〜19日。王滝村は7月27日〜28日です。
8月には、王滝村(6日)、木曽町(26日)で御嶽山の清掃登山があります。また、木曽町三岳では恒例の御岳トライアスロン大会(13日)があります。
清掃登山は、王滝村では7合目から、木曽町では6合目から頂上までの往復の山道をゴミ拾いしながら登ってくるものです。頂上に登れば富士山も見えます。自分のペースで登れて身も心も浄化される清掃登山に参加してみませんか。


<問い合わせ先>
王滝村住民課(0264-48-2001)/木曽町三岳支所御嶽の里振興課(0264-46-2001)です。

 
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