豊川用水のできるまで
 豊橋市を中心とする東三河地方は、古来より幾度となく干害に見舞われてきた地域です。特に渥美半島は大きな川がないために、日照りが続くと作物を育てるのに大変苦労していました。そこで、苦しむ人々のために何とかこの地域に豊川の水を引こうと考えたのが現在の田原市出身の政治家 近藤寿市郎翁(後に県会議員、衆議院議員、豊橋市長を歴任。)です。
 近藤寿市郎翁は視察に訪れたインドネシアでの農業水利事業をヒントに、豊川上流の鳳来町(現新城市)にダムを建設し、貯めた水を東三河地方に導水するという構想を抱きました。実現には地域の人々の協力が不可欠であることから、人々に構想を説き、自らも国等に精力的に働き掛け、先の大戦などでの紆余曲折がありましたが、昭和24年、宇連ダムを皮切りに国営事業として豊川用水の建設工事が始まりました。昭和33年には農業用水の他に水道用水と工業用水の開発が追加され、昭和36年に愛知用水公団に引継がれることとなりました。さらに愛知用水公団は昭和43年に水資源開発公団(平成15年に独立行政法人水資源機構へ改組)と合併し、20年の歳月を経て豊川の水は渥美半島、静岡県湖西市まで行き渡り、この地方の農業、工業における今日の発展の礎となったのです。
 その後、老朽化施設の改築を目的とした豊川用水施設緊急改築事業が平成元年に始まり(平成11年完成)、国及び愛知県で実施されていた豊川総合用水事業を平成11年に継承(平成14年完成)、また、同年には水路の複線化等により、さらなる効果的な水利用と合理的な水管理を目指して豊川用水二期事業の建設工事に着手し、現在もなお工事は進められています。
田植え風景(渥美町)
水田に水を汲み上げていた風車
(渥美町)
工事中の
宇連ダム
1955(昭和30)年
6月
完成した
宇連ダム
完成した
牟呂松原
頭首工