歴史の宝庫(滋賀の城郭)
琵琶湖へ単身赴任して、早や3ヶ月がすぎました。
琵琶湖周辺は、古代からの歴史の宝庫で、興味が尽きません。
個人的には、戦国時代の話や中世時代の城郭に興味があるので、時々現地を見に行ったり、市の観光案内パンフで調べたりしています。
滋賀のお城というと、歴史的に有名な彦根城や安土城跡、小谷城跡等がありますが、私が好きな城郭は、立派な天守閣がある大きな城というよりは、どちらかと言えば一般の方はあまり興味をもたれない「砦」や「館跡」といわれる小さな城跡です。
滋賀(というより近江)には、数多くの城跡がありますが、高島市にある「大溝城本丸跡」を紹介します。
現在、乙女が池の近く、高島病院や住宅地に囲まれた地に本丸跡が残っています。
本丸入り口から石の階段を上ればすぐに本丸跡で、積み上げられている巨石は現在でもしっかりとしており当時は堅固な天守台があったのだろうと偲ばれます。
城の縄張り(設計)はそれほど大規模なものではありませんが、琵琶湖や内湖に近く、交通の要衝であったと思われ、当時はその存在感を大きく示していたことでしょう。
本丸から見える景色を眺めて、「当時の武将たちは、ここから見える琵琶湖を見つめて何を思い、考えていたのだろうか」と思いをはせました。
また、歴史を訪ねて、いろんな史跡を歩いてみたいみたいと思っています。
【紹介】織田信長が、安土に壮大な城を築いた頃、琵琶湖対岸の高島の地に大溝城が築かれました。この城は琵琶湖と内湖を巧みに取り込んで築いた水城で、明智光秀の縄張で出来たと伝承されています。大溝城主は織田信長の甥、織田信澄で高島郡の開発・発展に尽力し、織田軍の遊撃軍団として活躍しました。
ところが、本能寺の変のあと、信澄は織田信孝(信長の三男)から大阪城で攻められ自害しました。
大溝城はやがて解体され甲賀郡水口の岡山城に移されましたが、大溝の城下町は元和五年(1619年)伊勢国上野から入部した分部氏に引き継がれ、整備されて湖西地域の中核的存在として豊かな歴史と文化を育んできました。
(平成8年3月 高島町指定文化財) 【現地の説明看板から要約】
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