ぽとり~職員のコラム

2013年06月25日

こんな所に旧跡が!? ~湖北管理所から500m~

 昨今の戦国ブームで歴史ファンが増えていますね。いろいろと関連本が出たりイベントが開催されたりとにぎやかですが、今回はちょっと珍しい史跡をご紹介いたします。 湖北管理所から歩いてすぐの場所にあるのですが、一見しただけではなんだかわからないくらいひっそりとした田んぼの真ん中に、塚があります。
近寄ってみますと、道案内のようにのぼりが立ててあり、そっとアピールしています。

どこにあるか分かりますか? のぼり旗の奥にひっそり

ここは、大谷刑部吉継(おおたにぎょうぶよしつぐ)の首塚です。
大谷刑部といえば関ヶ原の合戦に参戦した西軍の武将です。秀吉に仕え、石田三成の生涯の友とも呼べる人物です。「白い頭巾をかぶった人」といえば分かりやすいでしょうか。病気の顔を見られないように隠していたそうです。

関ヶ原合戦場で自刃したと言われており、家臣の湯浅五助隆貞(ゆあさごすけたかさだ)の手によってその地に首を埋めたとされています。
では、なぜ米原に首塚があるのでしょうか。
福井県の敦賀城主であった大谷刑部。実は関ヶ原で自害した折、その首だけでも領地の敦賀に帰すため、家臣が戦場から運び出したという異説があるのです。
首を切り離したのが湯浅五助、敦賀行きの指示をした家臣は三浦喜太夫(みうらきだゆう)、そして吉継の甥である祐玄(ゆうげん)が運んだらしいとのこと。
追っ手がせまり、「敵方に奪われるよりは」と祐玄はやむなく潜伏先の米原に埋めたということなのです。

あまりスポットの当たらないエピソードではありますが、歴史ロマンを感じたい方はぜひとも足をお運びください。


おおよその場所:
滋賀県米原市下多良一丁目165-2あたり 下多良神社裏側 田畑の真ん中