ぽとり~職員のコラム

2013年07月23日

最近仕入れたネタ


 時々本を読むことがある。
 そんなときに「へー、そうだったんだ。」と新しいことを発見すると嬉しい。
 最近ちょっとしたネタを読書中に発見したので紹介したい。
 ただし、真偽を確かめたわけでは無いので間違っていたら悪しからず。

 さて、日本の近代治水事業がはじまる明治初期にかの有名な「ヨハネス・デ・レーケ」は「George Arnold Escher/ゲオルギ・アルノルド・エッセル」の部下?として1873年(明治6年)に来日し、大阪湾の港湾建設や大津市のいわゆる湖南アルプス一帯の砂防事業も手がけ、大津市桐生に写真のオランダ堰堤と呼ばれる砂防ダムが現在も残っている。(オランダの技術を学んだ日本の技術者が作ったらしい。)
 また、平成3年度まで琵琶湖水位の基準点であった鳥居川水位観測所が、明治7(1874)年2月4日にエッセルの指導で設置され130年以上観測されている。

 ところで、今回はエッセルのことで「へー、そうだったんだ。」と思ったのである。
 エッセルは、明治11年までの日本滞在中にデレーケと共にオランダの技術を遺憾なく発揮して大阪、福井、東京などで大きな功績を残した。
 ちなみにデレーケはその後も日本に残り、かの有名?な木曽・長良・揖斐の三川分流を行った。・・・でもなぜか完成式には呼ばれなかったらしい。なぜ?なぜ?

 さてエッセルに戻る。
 話は簡単でエッセルの三男のモーリッツ・コルネリス・エッセルは一度は目にしたことがあるかもしれない「だまし絵」の作者M・C・エッシャーである。
 エッセル(オランダ風)とエッシャー(イギリス風)が親子だったとは。びっくり。(福井県坂井市三国町では皆?知っているらしい。なぜ?なぜ?と思った方は三国町郷土資料館のホームページをみてね。)  すみません。これだけのことでした。


M・C・エッシャー オランダ堰堤
M・C・エッシャー オランダ堰堤