とおい昔、高時川は大雨のたびに氾濫(はんらん)していました。あるとき、北陸に向かう鎌倉武士が洪水時にここを通りかかり、すごい勢いで流れる川を見て、しかたなく村に泊まって水が引くのを待っていました。
ようやく4日目に水が引きはじめると、待ちわびた武士たちは「川を渡るから村じゅうの男は手を貸すように」というおふれを出しました。
ところが、水かさが減っているとはいえ川の勢いは衰えず、渡りはじめた人は次々と川に流されてしまったのです。助けを求める声、家族を呼ぶ声、武士の怒る声、泣き声、まさにこの世の地獄であったということです。
犠牲者は村人20人あまり、武士数人、馬7頭。馬が暴れ犠牲者が多くなったので、後に架けられた橋を「馬渡橋(もうたりばし)」と呼ぶようになりました。