印旛沼開発事業などについて、よくある質問をまとめています。

【Q1】印旛沼の水はどのように利用されていますか?

【A1】印旛沼の水は1年間に約2億8千万立方メートル(東京ドーム225杯分)が使われています。工業用水として約1億7千万立方メートルが東京湾の臨海工業地帯に送られ、給水区域全体の工業出荷額は4兆2千億円(平成12年度)に達しています。農業用水として約7千万立方メートルが印旛沼周辺の10市町の農地約7千ヘクタールに補給されています。

また、水道用水として約5千万立方メートルが柏井浄水場(千葉市花見川区)へ送られ、千葉県営水道として千葉市、船橋市、市川市、市原市、浦安市、習志野市へ送られています。


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【Q2】印旛沼の水位はどのくらいありますか?

【A2】
印旛沼の水位は5月1日から8月31日(かんがい期)ではY.P(Y.P.とは?)2.5mに保ち、9月1日から4月30日(非かんがい期)ではY.P.2.3mに保つように管理しています。

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【Q3】「Y.P.」とは何ですか?

【A3】
"Yedogawa Peil"の略で、江戸川や利根川の河川工事で基準として使われている標高を表す記号です。Peilはオランダ語で基準面を表します。この基準高さは東京湾の平均海水面(T.P.:Tokyo Peil)より84cm低い点をY.P.0mとしています。他にも荒川の河川工事で使われるA.P.(Arakawa Peil)などがあり、河川によって基準となる高さが異なります。印旛沼は利根川水系になりますのでY.P.を使用します。



【Q4】印旛機場や大和田機場のポンプは何のために運転するのですか?

【A4】
台風などの大雨で、印旛沼への流入が多く利根川へ自然排水できないときに洪水を防ぐために印旛機場のポンプを運転し、沼の水を利根川に排水します(最大毎秒92立方メートル)。それでも水位が下がらないときは大和田機場を運転し、印旛放水路(花見川)を経て東京湾へ排水します。(最大毎秒120立方メートル)

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【Q5】酒直機場の目的は何ですか?

【A5】
印旛機場、大和田機場は洪水を防ぐために印旛沼の水を利根川や東京湾へ排水するための施設ですが、逆に酒直機場は印旛沼に水を蓄えて利用するために利根川の水を沼に汲み上げる(揚水)ための施設です。酒直機場は利根川に水が十分流れている時に、長門川を経由して印旛沼に利根川の水をポンプ(最大毎秒20立方メートル)で汲み上げています。

排水のための機場と揚水のための機場を使って沼の水を利用できるようにしています。

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【Q6】印旛機場や大和田機場は年何回くらい運転していますか?

【A6】
印旛機場のポンプ運転は印旛沼の管理をはじめてから平均で年に約9日間です。一番多い年では27日間運転(平成3年)しました。大和田機場のポンプ運転は印旛沼の管理をはじめてから平均で年に約4日間です。一番多い年では17日間運転(平成3年)しました。時期としては5〜10月の梅雨や台風が来る時期に多く運転しています。

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【Q7】大和田機場のポンプで学校のプールを一杯にすると何秒かかりますか?

【A7】大和田機場のポンプを全部動かした場合、1秒間に120立方メートルの水を送ることができます。学校の25mプールなら約3〜4秒で一杯にすることができます。


【Q8】印旛機場や大和田機場のポンプは、どうして電気で動くモーターのものとエンジンで動くディーゼルやガスタービンのものが両方あるのですか?

【A8】
電気で動くポンプだけの場合、嵐の時などに停電になるとポンプが動かなくなるリスクがあります。一方エンジンで動くポンプだけの場合には、災害等によりポンプを動かすための十分な燃料の確保ができなくなり、ポンプが動かなくなるリスクがあります。このため停電や燃料の確保が困難な事態が発生したときにおいても確実に洪水を排水できるように、電気で動くポンプとエンジンで動くポンプの両方を設置しているのです。

また大和田機場では機場の周辺に住宅地も多いことから、通常のエンジン式に替わりポンプ稼動時の音や振動をより小さくできるガスタービン式のポンプを設置し、燃料も環境にやさしい(煤塵排出量の低い)灯油を使用しています。


【Q9】捷水路(しょうすいろ)と疏水路(そすいろ)の違いは何ですか?

【A9】
印旛沼の北沼と西沼をつなぐ水路のことを印旛捷水路と言います。昔の印旛沼の形は、現在の中央干拓地のある場所を曲がりくねっていましたが、新しく水路をまっすぐに作ることによって北沼と西沼の水を流れやすくしました。

このように曲がりくねった川を真っ直ぐ結んだ水路のことを「捷水路」と呼びます。また、西沼から大和田機場、東京湾へとつなぐ水路を疏水路と言います。疏水路とは地面を掘削して作られた水路の古い呼び方で、現在では新川(印旛沼〜大和田機場)、花見川(大和田機場〜東京湾)として親しまれています。


【Q10】印旛沼の開発は江戸時代より幾度も計画されたようですが、いずれも実現しなかったのは何故ですか?

【A10】印旛沼の開発については、享保9年(1724年)に下総国郡平戸村の農民染谷源右衛門らが沼の水を検見川(東京湾)へ流すために江戸幕府の許可を得、幕府から6千両を借りて開削工事に着手しましたが、難工事であったことから資金不足となり挫折しています。その後も老中水野忠邦ほかによって計画されましたがいずれも実現に及びませんでした。

難工事の原因として、この地域に分布する化土(けど)層と呼ばれる未分解有機質層や地下水位が高いことなどから開削工事は幾度も崩落を繰り返し、非常に困難を極めたとされています。

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印旛沼開発事業の歴史を読む(広報誌連載「泥と汗と涙と」)



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