■千栗堤の生みの親「成富兵庫茂安」
ちりくていのうみのおや「なりどみひょうごしげやす」

筑後川にかかる豆津橋(まめつばし)を久留米から渡り佐賀揚水機場を右手に見ながらメルクス北茂安に向かって道なりに進むと、左手に北茂安千栗土居公園(きたしげやすちりくどいこうえん)があります。
県道整備工事に伴い、姿を消してしまう千栗堤(ちりくてい)を後世に伝えるため、文化財として佐賀県の指定を受け、千栗堤の一部を北茂安町が公園化したものです。
千栗堤は、佐賀平野における水利の偉人「成富兵庫茂安」の行った水利事業(すいりじぎょう)の一つで、古くは「千栗土居(ちりくどい)」と言い、今となってはどの地点まで千栗土居であったかはっきりしませんが、12km位はあったと言われています。
現在これらの業績を讃える碑が三根町に建てられています。 兵庫の遺産は千栗堤だけに留まらず、嘉瀬川(かせがわ)の石井樋(いしいび)、田手川(たでがわ)の蛤水道(はまぐりすいどう)、鳥栖市の五反三歩溜池(ごたんさんふためいけ)等々、それらの業績の大きさは彼の名を冠した地名が残っていることからも明らかです。
ちなみに北茂安村(現三養基郡北茂安町)、南茂安村(現三養基郡三根町)、佐賀城膝元には兵庫村(現佐賀市兵庫町)などです。

■子供を守る水神様「水天宮(すいてんぐう)」

全国に散在する水天宮の総本宮(そうほんぐう)といい、建久年間(1190〜1199)、建礼門院(けんれいもんいん)に仕えた官女(かんじょ)按察使伊勢局(あぜちしいせのつぼね)が、平氏の没落後この地へ逃れ、安徳天皇(あんとくてんのう)他三神を鎮祀したのが創始と言われています。
古くから筑後川の水神、海上安全の神、安産、子供の守護神として崇敬を集め、戦前までは県社に列していました。
本殿・拝殿・神饌所(しんせんじょ)などの諸社殿が、古樹・老木に囲まれて静かなたたずまいを見せています。

■日本最大級の環濠集落遺跡「吉野ヶ里歴史公園」

神埼市(かんざきし)、吉野ヶ里町(よしのがりまち)の2つの町村にまたがる公園です。
延長約2.5kmの濠(ほり)に囲まれた弥生時代(やよいじだい)の遺跡は特別史跡の指定を受けています。
体験型学習施設も併設されています。
平成元年に発見されましたが、集落跡からは400以上の竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)や240の高床倉庫群跡(たかゆかそうこぐんあと)、2,500を超える甕棺(かめかん)などが出土(しゅつど)しています。