先人達の贈り物
 この地方には、豊川用水と同じく豊川から取水する「牟呂用水」と「松原用水」という二つの用水があります。
 牟呂用水は、山口県出身の毛利祥久が行なった現在の豊橋市神野地区の新田開発に伴い、従来からあった賀茂用水を明治21年に拡幅して建設したものが前身です。しかし、新田開発は震災や水害に相次いで見舞われ、大きな被害を受けたために断念せざるを得ませんでした。その後、新田開発は名古屋の実業家 神野金之助に譲渡され伝統的な左官の技法を応用した人造石工法によって強固な堤防を築くことができたため、明治27年にようやく完成となりました。この用水は開発された新田1,100ha余りを潤す用水として豊川の左岸に取水口を造り、現在の豊橋市神野地区まで約23kmの水路が引かれました。
 一方、牟呂用水よりさらに古い松原用水は、約440年前の永禄10年(1567年)に造られ、豊川の右岸の取水口から取入れ、現在の豊橋市、豊川市の水田870ha余りを潤していました。
 松原用水は、古来から大村井水と呼ばれており、用水建設に携わった8人は物語として伝説化され、豊橋市大村町の八所神社に祀られています。
 この二つの取水堰(頭首工)は豊川の洪水などで度々壊れて、改修や補修を繰り返してきましたが、昭和26年、愛知県により水路をコンクリート張りにする改修工事が開始され、昭和34年、古くなった二つの堰を統合して一つにする工事が追加され、その後、昭和36年にこれらの工事は愛知用水公団に引継がれ、昭和43年、牟呂松原頭首工と水路の改修工事は完成しました。
  しかし、その牟呂松原頭首工も完成から20余年の歳月を経て老朽化が著しくなり、豊川用水施設緊急改築事業により、平成9年度までに全面改築されました。
松原用水の旧取水施設
(一宮町松原地内)
昔の牟呂用水の地図
(取水堰付近)
1968(昭和43)年に改修された
牟呂松原頭首工