中津川管理室ホームページトップへ ホームへ&お問い合わせへ
コンテンツメニュー
→ →
周辺観光ガイドへ&管理所へのアクセスへ

中津川・正蓮寺の歴史

中津川・正蓮寺のいわれ

大河から運河へ〜中津川の移り変わり〜

明治中期の中津川
明治中期の中津川の様子の図
クリックすると拡大できます。
 その昔、中津川は毛馬地区付近で淀川から分かれ、曲がりくねりながら大阪湾へと流れ出る大河でした。貞享元年(1684)、淀川と中津川の分岐点では、淀川への流水量が減少する問題が起きました。淀川下流での舟の往来が困難になり、そのために淀川と中津川の分岐点に工事が施されました。工事により水の勢いを取り戻した中津川は、安定した流れを持つ川となりました。
 その後、明治30年から43年にかけて行われた淀川改修工事で、中津川の一部を利用して放水路(現在の淀川)が作られました。この工事によって排出された土砂を運搬し、放水路より南の地域への干害用水の供給や舟運の便を図るため、放水路の左岸堤につくられたのが長柄運河でした。この運河が、淀川改修工事以降の中津川です。この中津川は、正蓮寺川、六軒家川の河川浄化や舟運などのための維持用水(毎秒8.5m3)、沿岸工場への工業用水(毎秒2.4m3)を流下していました。
 
正蓮寺
正蓮寺の外観の写真
クリックすると拡大できます。
 中津川が流れ込んでいた正蓮寺川の北岸には「正蓮寺」という日蓮宗の寺があります。現在から約350年前、浪人・甲賀谷又左衛門がこの付近の川中で仏像を見つけました。像を見た旅の僧に「これは日蓮さまの像だ」と言われた又左衛門は、その地に庵を建て正蓮日宝と名を変えて僧となりました。これが「正蓮寺」の由来と言われています。
 正蓮寺のほとりを流れる正蓮寺川周辺は、昭和初期から工場地帯として発展しました。新たな工業用水の取水や河川浄化を目的に、正蓮寺川の利水事業が行われることとなり、中津川は昭和42年に埋め立てられました。

 
→

〒554-0001 大阪市此花区高見1-10-46 TEL:06-6462-7701 FAX:06-6462-1099

管理所へのアクセスへ 周辺観光ガイドへ お問い合わせへ トップページへ 中津川・正蓮寺の歴史へ 事業の紹介へ 中津川ニュースへ お知らせへ