水に関わる過去の記録と人々A 〜水害証言〜
地域の人たちは、生活を守るために必死になって水害と闘いながら生きてきました。
流域に長年暮らし、多くの水害体験をお持ちの方々に当時の話をききました。
そう、私が十代の頃、家の屋根が丸ごと川を船のように流れてきたのを見たことがあります。
上には人が乗っていて「助けてくれ〜」と叫んでいるんですが、私らにはどうすることもできませんでした。
大正中期に川が切れて浸水したとき、柏原の村(高月町)では水の高さが3〜4尺(1.0〜1.5m)にもなり、倉の土壁に水位を示すスジがつきました。
雨が降り続くと半鐘(はんしょう)がなって村人が総出で川の警戒にあたります。
中学生の私も大人に交じって土のうを積む作業を手伝いました。
作業の後は堤防の見回りをします、堤防を切りに来る人がいるからです。
対岸の堤が切れれば自分たちのほうは助かるということですね。
大正10年(1921年)、高時川の堤防が切れる洪水がありました。
高月町には、その時の洪水の高さが記されている石柱があり、いかに被害が大きかったかが想像できます。