HOME”愛知用水”ってなあに? > はじまり〜知多半島へ水を〜
 
 
知多半島では、大きな河川がなく、田や畑で使う水を川から取ることができませんでした。水不足は深刻で人々は井戸やため池をつくって渇水に備えていました。

しかし、1947年(昭和22年)は日照りが長く続き、ため池の水が無くなってしまい、作物が枯れるなど大きな被害が出ました。

水に困った知多半島の人々は、「木曽川から水が引けたら・・・」との夢があり、1947年の大干ばつをきっかけに、この夢を実現させようと立ち上がり、国家事業として愛知用水をつくるよう働きかけ、世紀の大事業といわれた愛知用水の第一歩を踏み出したのです。
 
当時の資料では地域約16,000haの水田に対し約13,000のため池があったとされています
 
 
夢の実現に向け「愛知用水計画概要図」を広げて各地域で説明会 
 
1955年(昭和30年)に愛知用水公団が設立され、事業が始まりました。
事業資金の一部を世界銀行から借り入れ、「5ヵ年で事業を完成させること」「海外専門家の技術援助を求めること」等の条件が付されました。

1957年(昭和32年)から、水をためる牧尾ダムと、木曽川から水を取り入れる愛知用水取水口と、水を流す水路の工事が始められました。

この工事は、EFA(アメリカ・エリック・フロア社)から派遣された技術者と日本の技術者が仕事をしました。すぐれた土木技術と、最も新しい土木機械を使い、わずか4年で工事が完成しました。
  
 
通水の瞬間、愛知用水取水口に集まった人々から万歳の歓声が上がった
工事では、水源地域の方々をはじめ、水路沿線の方々からも貴重な土地の提供など、多大なご協力をいただきました。

1961年(昭和36年)9月30日は、木曽川の水が愛知用水を流れ、知多半島へ届くという歴史的な日となりました。

幹線水路工事を監督する外国技術者
 
 

 
<さらに詳しく知りたい方は・・・>


(水資源機構本社HP)
  愛知用水はどのようにしてつくられたのか?
作家「高崎哲郎」氏による小説「水の思想・土の理想」 <私説> 世紀の大事業 愛知用水
 
  ▲ページの先頭へ   

Copyright 愛知用水総合管理所 All Rights Reserved