筑後川は、その源を阿蘇外輪山に発し、高峻な山岳地帯を流下して日田市に至り、途中、玖珠川などの数々の支川と合流しながら、山間盆地や肥沃な筑後・佐賀両平野を貫流して、潮の干満の差が日本で一番大きいことで有名な有明海に注ぎます。
熊本、大分、福岡、佐賀の4県にまたがり、流域面積2,860km2(山地約70%、平地約30%)、幹川流路延長143kmの九州で一番大きな河川です。
流域内の人口は約190万人(平成15年3月河川現況調査)となっています。
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筑後川は、別名「筑紫次郎」と呼ばれ、日本有数の暴れ川として知られています。現存する記録だけでも、これまで約420年の間に約220回もの洪水が起きています。特に、昭和28年6月の洪水は、堤防の決壊や家屋流出・倒壊などにより、被災者は約54万人に達するほどの悲惨なものでした。
この大きな水害を教訓に、筑後川流域全体の総合的な整備が計画され、堤防整備、川幅の拡幅などの河川改修、ダムによる洪水調節、堰の改築などの整備が進めてられています。
水資源機構が建設した、寺内ダム、筑後大堰を始め、これから建設される大山ダム、小石原川ダムも洪水を軽減するための機能を備えています。
地点 | 集水面積 | 基本高水のピーク流量 | ダムによる調節流量 | 河道への配分流量 | 備考 |
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荒瀬 | 1,440km2 | 10,000 | 4,000 | 6,000 | 基準地点 |
瀬の下 | 2,315km2 | ― | ― | 9,000 | 基準地点 |
筑後川は昔から多くの人々に、かんがい用水、生活用水、また、舟運などさまざまな形で利用されてきました。特に江戸時代から本格的にかんがい用水の開発が行われ、筑後川中流域では、堰や水路などの大規模な水利施設が造られ、筑後川下流域の筑後・佐賀平野では、クリークを縦横に造り、このクリークから水田のかんがいを行いました。また、有明海の大きな干満差を利用した河川水の取水(アオ取水)し、古くからかんがい水源として利用してきました。このように筑後川はかんがいを中心として流域に恵みを与えてきました。
クリーク整備 | |
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整備前 | 整備後 |
近代的な農業 | |
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高付加価値型農業 (玉ねぎ) |
施設型農業 (いちご栽培) |
近年、社会経済の発展に伴い、流域にとどまらず、北部九州の重要な水源としての期待の高まりと農業経営の近代化の推進により各種用水の需要が増加してきました。このような背景から、昭和39年に筑後川水系が水資源開発水系に指定され、生活・産業基盤としての重要な水資源の開発を行っています。具体的には、上流にダムなどを建設し、渇水時に補給することにより、各種(農業・水道・河川維持など)用水の取水を安定的に確保します。
水資源機構が建設した、江川ダム、寺内ダム、筑後大堰を始め、これから建設される大山ダム、小石原川ダムも各種用水を安定的に確保するための機能を備えています。