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HOME河口堰ができるまで > 旧吉野川・今切川の水争いに尽力した三木與吉郎(第12代)


 板野郡東端吉野川沿岸ノ水田古来塩旱害甚シ松茂村豪家故貴族院議員正六位勲二等三木與吉郎君夙ニ救済ヲ任トシだむ築造ヲ計画シテ屡(しばしば)政府及懸ニ陳情シ奔走多年又巨萬ノ私財ヲ此の事業ニ捐ツル等君ノ熱誠ハ遂ニ富局ヲ動シ今切川だむ先ヅ成リ今歳十月松茂だむ亦工を終ヘ農地二千町歩茲(ここ)に塩旱害ヲ除ケリ不幸君巳ニ逝キ之ガ完成ヲ見ルヲ得ザレドモ先躯ノ偉功赫赫光ヲ放テリ此ノ胸像ヲ建設シテ遺徳ノ不朽ヲ謀ルハ吉野川普通水利組合ノ誉ニシテ農民感恩ノ表徴ナリ依テ其ノ行實ヲ略叙ス

 昭和二十四年十一月 岡本由撰併書

(訳)板野郡東端にある吉野川沿岸の水田は古来より塩害による被害が甚だしかった。松茂村の豪家出身で、貴族院議員に選出され正六位勲二等を受けた三木與吉郎氏は、かねてより塩害救済のためにダムの築造を計画し、しばしば政府及び県に陳情を行うなど長年にわたり奔走するだけでなく、この事業のために巨額の私財を投じた。氏の熱意は遂に当局を動かすところとなり、まず今切川ダム(今切川潮止樋門)が完成、さらに昭和24年10月に松茂ダム(旧吉野川潮止樋門)が竣工し、これにより農地二千町歩(19.8平方km、東京ドーム422個分)が塩害から守られることとなった。不幸にも氏は亡くなってしまい、その完成を見ることはできなかったが、生前の偉功は輝かしいものである。吉野川普通水利組合は、農民の感謝の証として、この胸像を建てて氏の遺徳を永遠に称える。よって、氏の業績を略述する。


※参考資料
 ・ 『潤』河口堰 平成16年3月 独立行政法人水資源機構 旧吉野川河口堰管理所
 ・ 松茂町誌 中巻 昭和51年7月 徳島県松茂町誌編纂委員会

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