【番外編】吉野川橋のはなし
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話を古川橋に戻しますが、現在の吉野川橋の左岸側のたもと、橋から90メートルくらい離れた、県道39号線(徳島鳴門線)の道端に、大きな石碑が建っています。
吉野川橋のたもとに建つ石碑(豊川翁之碑)
石碑には達筆で「豊川翁之碑」の文字が彫られています。裏面には「豊川翁」への表彰状が刻まれていますが、残念ながら今は容易には見られない状態となっています。そしてこの豊川翁こそ、明治から昭和の初めを生き、古川橋を一生懸けて守り通した人物、豊川仲太郎(1868~1927)なのです。
仲太郎は、現在の徳島市川内町沖島の、庄屋であった豊川家の長男として生まれました。豊川家は、明治維新後に材木商となり、土木請負業も経営していました。その頃には、応神町古川に住む寺沢六兵衛(諸説あり)が架けたとされる古川橋がありましたが、当時、吉野川の洪水で何度も流失し、地元では橋の維持に困っていました。
この古川橋を買収して、その後、吉野川橋が架かるまで39年にわたって守り続けたのが豊川仲太郎でした。古川橋を買収したのは明治19年(1886年)ということなので、仲太郎はこのときなんと18歳。買収した額は分かりませんが、凄い人物がいるものです。買収後も、古川橋は洪水で何度も流されましたが、仲太郎は、舟を橋脚の代わりに利用した浮橋とし、洪水が来る前に橋を舟とともに避難させる工夫をしたり、橋梁の杭や板の全てに「豊川」の焼き印を押して、洪水で橋が流された時にそれを目印に河口の方まで回収に行って、橋を修復したそうです。こうした仲太郎の功績を讃えるため、この石碑が建てられました。(出典:とくしま橋ものがたり(徳島県))
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豊川翁之碑 |
豊川翁之碑(裏面) |
旧吉野川河口堰および今切川河口堰にお越しの際は、吉野川の散策がてら是非お訪ねください。