むかしむかし、筑後川(ちくごがわ)の周(まわ)りに住(す)む人々(ひとびと)は、神様(かみさま)に作物(さくもつ)を作(つく)るために必要(ひつよう)な雨(あめ)が降(ふ)るようにお願(ねが)いをしたり、洪水(こうずい)が起(お)きないようにお祈(いの)りをしていました。
人々(ひとびと)はやがて、いろいろな水(みず)の神様(かみさま)を信(しん)じるようになり、河童(かっぱ)の神様(かみさま)が信仰(しんこう)されるようになったとも言(い)われています。
筑後川(ちくごがわ)にかかわる人々(ひとびと)の、水(みず)を大切(たいせつ)にする気持(きも)ちが、たくさんの河童(かっぱ)の伝説(でんせつ)を生(う)んだのかもしれません。
筑後川(ちくごがわ)の支流(しりゅう)である巨瀬川(こせがわ)には、平清盛(たいらのきよもり)の生(う)まれ変(か)わりとされる、巨瀬入道(こせにゅうどう)という河童(かっぱ)の大将(たいしょう)が住(す)んでいるといわれています。また、久留米(くるめ)の水天宮(すいてんぐう)には、この巨瀬入道(こせにゅうどう)の妻(つま)である二位尼(尼御前という河童)がまつられています。
この二人(ふたり)が筑後川(ちくごがわ)の中流(ちゅうりゅう)で時々(ときどき)会(あ)うのだそうで、そのときには筑後川(ちくごがわ)は大荒(おおあ)れとなり、洪水(こうずい)をおこすのだそうです。
昔(むかし)、河童(かっぱ)とすもうをとった漁師(りょうし)がいました。
河童(かっぱ)はかわいいけれど、河童(かっぱ)とすもうをとると、後(あと)で熱(ねつ)が出(で)て困(こま)ってしまいます。
でも、魚(さかな)が捕(と)れなかったときには河童(かっぱ)とすもうをとると、次(つぎ)の日(ひ)には魚(さかな)が多(おお)く捕(と)れるとか。
きっと、河童(かっぱ)がまた、遊(あそ)んでもらいたいから魚(さかな)とりを手伝(てつだ)ってくれたのでしょう。
ある農夫(のうふ)が田植(たう)えをしていると、それを河童(かっぱ)が見(み)ていました。
河童(かっぱ)は農夫(のうふ)のまねをしようとしましたが、牛(うし)の手綱(たづな)に巻(ま)きついてしまい、引(ひ)きずられて泥(どろ)だらけになってしまいました。
農夫(のうふ)が助(たす)けてやって「二度(にど)とこんな悪(わる)さをするなよ。手(て)の骨(ほね)でも折(お)ったらどうする。」というと、河童(かっぱ)はお礼(れい)に骨接ぎ(ほねつぎ)の術(じゅつ)を教(おし)えたということです。