PROJECT01

四国地方の経済、市民生活を守る。

暴れ川への挑戦。

利根川(坂東太郎)、筑紫川(筑紫二郎)とともに日本三大暴れ川と言われた吉野川は、時に人々の命を脅かす存在でした。しかしその水は四国の人々の命であり、暮らしでもありました。そんな吉野川を安心、安全に管理し、より多くの水の恵みを享受することができるようになったのは、まだそれほど昔のことではありません。命を守り育むビッグプロジェクトの一つとして、水資源機構が吉野川とどのように向かい合ってきたのか、早明浦ダムの建設を通してみていきます。
そして、時代は次のフェーズへ。市民生活に寄り添ってきたダムも、万全ではありません。地球温暖化による気候変動が社会や自然の生態系に様々な影響を与えています。そんな変化に柔軟に、迅速に対応すべく、ダム再生事業という新たなプロジェクトが始動しています。これは水資源機構初のダム再生事業であり、プロジェクトの成功が、地域の人々の生命や暮らしを将来にわたって守ることに極めて重要な意味を持っています。

利根川(坂東太郎)、筑紫川(筑紫二郎)とともに日本三大暴れ川と言われた吉野川は、時に人々の命を脅かす存在でした。しかしその水は四国の人々の命であり、暮らしでもありました。そんな吉野川を安心、安全に管理し、より多くの水の恵みを享受することができるようになったのは、まだそれほど昔のことではありません。命を守り育むビッグプロジェクトの一つとして、水資源機構が吉野川とどのように向かい合ってきたのか、早明浦ダムの建設を通してみていきます。
そして、時代は次のフェーズへ。市民生活に寄り添ってきたダムも、万全ではありません。地球温暖化による気候変動が社会や自然の生態系に様々な影響を与えています。そんな変化に柔軟に、迅速に対応すべく、ダム再生事業という新たなプロジェクトが始動しています。これは水資源機構初のダム再生事業であり、プロジェクトの成功が、地域の人々の生命や暮らしを将来にわたって守ることに極めて重要な意味を持っています。

プロジェクト担当者

池田総合管理所 所長 I.H

1994年に入社し、徳山ダム建設所工務課に配属。その後、池田総合管理所へ転勤となり新宮ダム、池田ダムのダム管理に従事。その後、本社、関西支社、川上ダム建設所、木津川ダム総合管理所、本社等を経て、2018年に2度目の池田総合管理所勤務。その後、関西・吉野川支社を経て、2021年に3度目の池田総合管理所勤務で現職となる。

四国発展の鍵「吉野川総合開発計画」

高知県の瓶ヶ森を水源とし徳島県の紀伊水道に注ぐ吉野川は、幹線流路延長194㎞の一級河川です。四国三郎と呼ばれ、暴れ川として人々を苦しめてきました。早明浦ダムのなりたちは、海に囲まれながらも水と共に生きることの難しさを常に抱いていた四国の人々の挑戦の物語でもあります。
高知県は四万十川をはじめ、仁淀川、物部川などの河川を持ち、湿った気流が流れ込みやすい地形から、雨が多い地域の一つです。吉野川も上流域は高知県に位置しており雨が多い地域で、吉野川下流域の徳島県では氾濫が繰り返されていたため、稲作には適さず、反対に、流れ込む土砂で肥沃な土地となり、藍の原料栽培、藍染め製品の名産地となりました。
その一方で、香川県は降水量が少なく河川の流量も少なかったため常に干ばつと闘ってきました。このことから、利水対策の“ため池”が県内各所に数多く設けられています。また、愛媛県は平野から背後に急峻な四国山地がそびえることから、川は短く急流で、川の水はすぐに海に流れ出てしまいます。水の確保に苦心する香川、愛媛両県にとって吉野川の水は潤いをもたらす‘いのちの水’でもあったのです。
江戸、明治、大正、昭和初期へと続く吉野川の治水、利水を一体とした総合開発は古くから堤防や水路を建設することで災害を抑え、分水しながらともに暮らしてきた四国の人々にとって長年の悲願でした。
吉野川の流域は四国4県にまたがり、流域面積は四国全土の約20%を占める大河川となっています。四国発展の鍵を握るビッグプロジェクト「吉野川総合開発計画」の中核となる早明浦ダムの完成により、洪水被害の軽減とともに、吉野川水系全体の水が四国4県で総合的に有効利用できるようになりました。早明浦ダムが「四国のいのち」と呼ばれる所以となる、暴れ川に挑んだ物語を紡いでいきます。

挑戦に立ちはだかる高い壁

吉野川では歴史上に残る大きな水害が度々起きています。そのため、被害を少しでも減らすべく堤防が作られ、川に橋をかけるのにも、あらかじめ洪水を想定して、水の抵抗を少なくし、流されにくいような工夫をするなどしてきました。
反対に、水の確保に力を注いだ香川県と愛媛県では、明治期には吉野川の水を活用するための分水が多く計画、建設されました。また、時代の変化とともに生活用水や農業用水だけでなく、工業用水や電源の確保も重要になり、昭和初期頃までには水力発電所も建設されています。
しかし、それらの対策はそれぞれの県等が必要に応じて、または喫緊の課題に対応するためにとった局所的な対策に過ぎませんでした。そこで、吉野川を総合的に開発し豊富な水資源を有効利用するための大規模開発計画を、国、四国4県、電力会社が協力して作成しました。ただ、戦争や四国4県の思惑の相違などから実現への道のりは遠く、その間にも水害が頻発しています。
第2次世界大戦後、ようやく具体的な開発計画が作成されたものの、さまざまな意見が出てまとまりません。しびれを切らした電力会社がダムを独自に建設することはあっても、流域一帯を総合的に開発する計画は進みませんでした。国(建設省)は粘り強く電力会社などと調整を図りながら「早明浦ダムを中核とした吉野川総合開発計画」の原案を作成し、戦後約20年を経た1966年にようやく吉野川の総合開発が決定したのです。
これにより、早明浦ダムの建設は、開発計画の中核として、吉野川の持つポテンシャルを最大限に活かすための、流域全体を開発するビッグプロジェクトへと変貌していき、複数のダムや水路、分水などとの総合的な開発事業となったのです。

水資源機構の先駆的取り組み

水資源開発公団(水資源機構の前身)は、1962年に設立されました。そして、高度経済成長期の都市用水、工業用水への需要拡大でその前年に公布された水資源開発促進法に基づいて1966年に吉野川水系が開発水系に指定されたのです。その後、1967年に早明浦ダムの建設事業は水資源開発公団に引き継がれました。
早明浦ダムの建設事業は費用、工法などあらゆる面において新しいチャレンジの連続でした。ある意味、早明浦ダム以降に作られた全国のダムの建設の中でも先駆的取り組みの宝庫と言っても良いかもしれません。
費用面では、早明浦ダムが多目的ダムであるとともに四国4県にわたる多くの関係者と大規模な分水計画も含むビッグプロジェクトであることから、利水者の費用負担の合理性を追求した新しい費用負担の考え方を導入し、水資源開発公団が関係者間の調整役として機能したことも大きな意味を持ちます。
また、早明浦ダムは洪水調節と利水の双方の役割を持つため膨大な容量を必要とします。そのため、安全を最大限考慮し、上流側堤体に「大型フィレット」を設け、岩盤との接触面を広くしたかつてない構造の重力式ダムとなりました。その手法は日本で初めて採用されたもので、その後のコンクリートダムには早明浦ダムと同じ手法が多く採用されています。それ以外にもダムサイトにおける川幅の広さを生かした「半川締切り工法」や、ダム湖に架ける橋の建設で本州四国連絡橋の建設を見越した試験的な取り組みがなされるなど、その後のダム建設に大きな足跡を残しました。
こうして「吉野川総合開発計画」における最大のプロジェクト、中核となる早明浦ダムが1975年に完成したのです。

未来に向かって—ダム再生という新たな挑戦—

早明浦ダムは完成から今日に至るまで四国全域にたくさんの恵みをもたらしてきました。米どころでもあった香川県は毎年のように悩まされる渇水の不安から解放され、愛媛県では工業用水が主要産業の一つである紙に関わる産業の発展に貢献しています。多雨地域の高知県、徳島県でも地形条件などから農業や工業用水の確保などには苦労していましたが、開発計画の中で作られたダムや用水によって分水された水の恩恵を受けることができました。
一方で洪水調節については、1975年から2023年までの約50年間で127回の洪水調節を行っています。早明浦ダムで行う洪水調節の多くは台風の影響によるものです。たくさんの気象データ、台風の進路予想、上下流の河川の流量や吉野川流域の他のダムの容量などを緻密に分析することで、放流量などを判断しています。四国の人々の生命、そして安全な生活を守ることも早明浦ダムの最も重要な役割の一つです。
今、近年の「異常気象」と言われる環境の変化で、降雨や台風も早明浦ダム建設当時と同じ考え方、活用方法では対応しきれない事態が起きています。洪水などの危険性は高まり、洪水調節機能を果たすダムの役割もより強固なものが求められています。
管理開始から43年が経った2018年、水資源機構は機構初となる「早明浦ダム再生事業」という再びのビッグプロジェクトに挑み始めました。早明浦ダムからの補給方法を変更して、利水容量を洪水調節容量に振り替えることを主目的とした再生事業です。このプロジェクトは2018年度から2028年度までの実に11年間を要します。
四国の人々のいのちと暮らしを守るための未来に向けた新たな闘いが始まっています。
参考資料:広報誌 水とともに「四国のいのち」早明浦ダム

プロジェクト担当者メッセージ

早明浦ダムは、管理開始から50年近くの歴史の中で計画最大流入量を超える洪水が4回発生していますが、確実に吉野川下流域の浸水被害の軽減に貢献してきました。早明浦ダム再生プロジェクトは、さらにダムの治水機能の増強を図り、四国の人々の生命と安全な暮らし、経済・社会活動を支える重要な事業です。プロジェクト担当者として諸先輩方の長年の苦労があってようやく着手できた大事なプロジェクトを任されたやりがいと、事業を着実に進めていかなければならないというプレッシャーを今、感じています。
昨今の頻発化、激甚化する洪水に備えるため、2028年度の事業完了に向けて、最先端技術の導入やDXの推進を図り、再生事業に携わる全ての職員や工事関係者が力を合わせて、安全かつ効率的に工事を進めていくことが自分に与えられた役割です。そのために、職員ひとり一人がやりがいを持ってワンチームで取り組んでもらえるよう、なんでも相談し合える風通しの良い職場づくりを目指しています。
管理者として、再生プロジェクト担当者としてダムとともに地域が発展するよう取り組んでいきますので是非、自然豊かで美しくおいしい食べ物もたくさんある嶺北地域におこしください。皆さまの来訪をお待ちしています。

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