PROJECT02

水資源機構発足の原点——。

首都圏を水で支えていくために。

古くから東京都は、多摩川に水源を頼っていましたが、戦後の急激な経済復興による人口増加や工業化により、「東京砂漠」とも呼ばれる深刻な水不足に陥っていました。このような状況の中、国を挙げての一大イベントである東京オリンピックの開催が約500日後にひかえていました。そこで計画されたのが、利根導水路の建設です。都市用水、農業用水及び河川浄化用水という多目的な水を供給する利根導水路ですが、その中の都市用水、とりわけオリンピックを控えた中での東京への水供給にクローズアップして、当時の建設にかける思いや苦悩、秘話を巡っていきます。

古くから東京都は、多摩川に水源を頼っていましたが、戦後の急激な経済復興による人口増加や工業化により、「東京砂漠」とも呼ばれる深刻な水不足に陥っていました。このような状況の中、国を挙げての一大イベントである東京オリンピックの開催が約500日後にひかえていました。そこで計画されたのが、利根導水路の建設です。都市用水、農業用水及び河川浄化用水という多目的な水を供給する利根導水路ですが、その中の都市用水、とりわけオリンピックを控えた中での東京への水供給にクローズアップして、当時の建設にかける思いや苦悩、秘話を巡っていきます。

プロジェクト担当者

利根導水総合事業所 所長 H.Y

1992年に水資源開発公団(当時)へ入社。愛知用水総合事業部に配属となり、愛知用水二期事業の改築工事等に従事。その後は本社勤務や出向、2度目の愛知用水総合事業部勤務を経て、利根導水総合事業所にて堰、水路管理(武蔵水路改築事業実施中)や本社経営企画部で利根導水路大規模地震対策の新規事業化に従事。その後は筑後川局施設管理課、中部支社水路事業課、福岡導水総合事業所を経て、2021年5月に2度目の利根導水総合事業所勤務で現職となる。

水をめぐる戦後復興途中の災い

戦後、猛スピードで経済成長を遂げた東京。「日本の東京を世界の東京にする」という、当時の東京都知事の言葉で、日本はアジアで初となるオリンピック開催への大きな一歩を踏み出そうとしていました。
第二次世界大戦の敗戦後、日本は大型台風の度重なる襲来に悩まされます。カスリーン台風(1947年)、アイオン台風(1948年)、ジェーン台風(1950年)など、災害級の大型台風が毎年のように襲来し、日本中が疲弊していました。特に、戦後の水害史に残る1959年9月の伊勢湾台風は、犠牲者が5,000人を超える大災害となりました。
そこで、新しく制定されたのが新河川法です。当時適用されていた旧河川法は、河川管理を行政区域で区分けし、都道府県知事が管理を行う区間主義と呼ばれるものでした。しかし、新河川法では、中小河川を一水系として一貫管理し、一級河川を国、二級河川を都道府県、準用河川を市町村が管理するという管理制度に改められ、水系一貫主義となりました。
しかし、台風の襲来から落ち着く間もなく、再び日本を苦難が襲います。それが、東京砂漠といわれる大渇水です。1960年から1962年にかけて、平均降雨量が平年の半分以下となる中、急激な経済成長に伴う人口増加、工場の進出、生活水準の向上など、様々な理由で水道の利用量が急増したことで、水不足が深刻化しました。この異常事態に伴い東京都では1961年10月から20%の給水制限を始めましたが、翌年東京の水不足は回復どころか一時35%節減という厳しい段階にまで陥りました。

東京砂漠を救え、水資源開発公団の発足

東京オリンピックの開催が決定した後、政府は1960年に水資源対策等特別委員会を緊急に発足させました。
招集された関係各省庁は、それぞれの立場から水資源の開発に係る組織について主張します。治水を優先したい建設省(現国土交通省)は水資源開発公団、工業用水の確保を目的としている通産省(現経済産業省)は工業用水公団、農業用水の確保を目的とする農林省(現農林水産省)は水利開発公団、水道用水の量と質を優先したい厚生省(現厚生労働省)は水道用水公団の設置をそれぞれ提示しました。
しかし、悠長な議論の時間はなく、1961年4月、政府は建設省が提示する水資源開発公団案への一本化の方針を示し、翌年5月、総合的、計画的に水資源を開発する組織として、水資源開発公団(現水資源機構)が発足したのです。
政府は、大渇水の東京を救うため、水量が比較的豊かな利根川の水を広域に利用できるよう、利根導水路事業の開始を決定しました。この導水路事業の目的は、東京都と埼玉県に都市用水を供給するだけでなく、埼玉・群馬両県の広大な農地に灌漑用水を安定的に供給し、隅田川浄化にも役立てようという壮大な総合プロジェクトでした。
そして、この事業は、利根川を堰き止めて水を取水する利根大堰が重要な施設となるのですが、東京都への水供給を行うために重要となるのが、利根川と荒川を結び、利根川の水を荒川に運ぶ武蔵水路と、運ばれた水を荒川から取水・導水し、東京都に送るための秋ヶ瀬取水堰及び朝霞水路です。1963年3月、利根川水系における水資源開発基本計画(フルプラン)が閣議決定され、水資源開発公団にとって初めての事業がスタートしました。

東京オリンピックの危機に立ち向かう

閣議決定の時点ですでに、東京オリンピックまで約500日という状況の中、最高責任者である当時のオリンピック特命担当大臣は、連日のように緊急対策会議を開き、関係省庁や水資源開発公団に対して「1日でも早く利根川から水を引く水路の掘削を!」と指示しました。
建設工事は、荒川の最下流にある秋ヶ瀬取水堰及び朝霞水路の建設から始まり、その後、武蔵水路の工事に着手していき、水資源開発公団や施工業者は、早期の完成を目標に尽力しましたが、オリンピックの開催は刻一刻と迫っていました。
秋ヶ瀬取水堰の建設では、荒川の曲線部の地形をうまく利用し、河川内ではなく、陸上部で堰を建設し、建設した堰がある位置に荒川の流路を切り替えることで大幅な工期短縮を図りました。また、武蔵水路は、総延長14.5kmの水路掘削工事を8工区に区切り、同時進行かつ、3交代24時間体制(各工区の作業員は1,000人を超える)で、工期短縮を図りました。
それでも、オリンピック開幕までに利根川から水を導水することは困難な状況の中、オリンピック特命担当大臣から、当初の通水予定時期よりも1か月前倒した、1964年8月25日の通水開始という指示が急遽下されました。関係省庁や水資源開発公団等の関係者たちは、これ以上の工期短縮は困難と考えていましたが、国を挙げた一大イベントが間近に迫っているのも事実でした。その間も一向に雨は降らず水不足が続き、水資源開発公団と施工業者たちは寝食を忘れ総力戦で工事に挑みました。この時、給水制限は、一時最大50%にまで引き上げられ、都民は水に困窮し、自衛隊も給水のために出動する事態となっていました。
東京オリンピック直前の8月25日、武蔵水路の完成が間に合わないものの、秋ヶ瀬取水堰及び朝霞水路の工事は、8ヶ月という異例の短期間で完了させ、荒川の水を暫定取水することが可能となり、オリンピックの開催までに水を東京都に送り届けることができました。また、隅田川への浄化用水の導水も実現し、「オリンピックまでに隅田川の浄化に着手する」というもう一つの目標も無事達成されたのです。

これからも水の安定供給を図るために

その後、1965年3月に武蔵水路の暫定通水(既設の見沼代用水を経由)が開始された後、連続1200日を超える東京都の給水制限は解消されました。利根導水路事業は、利根大堰を含む全施設が完成し、1968年4月から管理が開始され、全ての機能を発揮しました。
オリンピックを控えた首都東京を大渇水から救って、半世紀が経過しました。その間、絶え間なく水供給を継続する一方で、広域地盤沈下や水需要の変化、老朽化対策といった様々な課題に対応してきました。
近年では、東日本大震災のような大規模地震の発生が危惧されており、利根大堰施設が位置する地点では、首都直下型の大規模地震により震度6強の揺れが発生すると想定されています。これに対して、2014年度から利根導水路大規模地震対策事業を実施し、より強靱な施設へと進化することで、安定した水供給を継続していくことを目指しています。事業開始が、東京オリンピック2020開催を控えた中というところにも運命を感じるところです。
大規模地震対策事業は、2024年3月に完了する予定です。水資源機構では、これからもその時代の変化を的確に捉え、継続的に水を安定供給できるよう、これからも日々の管理や事前の対策等に決して手を緩めず進み続けます。
参考資料:広報誌 水とともに「東京オリンピックと大渇水~オリンピック大会までに、武蔵水路を完成せよ!~」

プロジェクト担当者メッセージ

現在に至るまで約60年間、首都圏の生活や産業を支える重要なライフラインとして水を送り続けている利根導水路は、先人方の長年にわたる苦労や努力、情熱から成り立っている施設です。その思いを受け継ぎ、必要な水を送り続ける使命感と責任感を継承していくことが、プロジェクトを担う者に与えられた使命であると考えています。
利根導水路は首都圏の急激な水の諸問題解決のために、短期間で建設され、水不足の解消に寄与しました。現在実施中の大規模地震対策(利根大堰や埼玉合口二期施設、秋ヶ瀬取水堰、朝霞水路の耐震補強等)においても、2023年度の事業完了を目指し、やり遂げる所存です。
利根大堰にある1号魚道には、「大堰自然の観察室」が併設されていて、魚類の遡上を観察できます。小学生を中心とした見学者も多く、年間2万5千人程(2019年度)の方々が見学されています。近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。
水は限りのある資源です。皆様の日頃からの節水意識の向上にご協力お願いいたします。水資源機構はこれからも、安心・安全で快適な生活に貢献できるよう、適切な管理に努めます。

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